学校再開と“失ったもの”

学校は再開したけれど…

首都圏では緊急事態宣言解除後、休校になっていた小中学校や高校が再開され、現在は分散登校や時差登校が実施されているところが多いようです。

あるいは、そろそろ、通常の授業態勢に戻ったというところも増えてきたでしょうか。

ただ学校が再開されて、これで全て元通りということでは決してなく、学校現場は多くの変化や我慢を強いられています。

例えば、随分暑くなってきましたが、子供たちも先生も基本的には常にマスクをつけ、今後は熱中症が心配です。新しいクラスでは、マスクで隠れた友だちの顔をよく覚えられないそうです。

音楽の時間も、リコーダーや鍵盤ハーモニカは吹いちゃダメ、歌うのもダメで、CDなどで音楽を聴くだけにしている学校も多いようです。

給食の時間は、みんな前を向いて、しーんとした中で食べるので、息が詰まりそうだという子もいます。

また、一生懸命打ち込んできたクラブ活動がなくなり、急に夢や目標を失ってどうしていいか分からないと嘆く子もいます。

先生方も、休み時間には総出で消毒に回ったりして慌ただしく、また休校中に済ませるはずだったカリキュラムをどう補おうかと頭を悩ませています。

もちろん、命が一番大事ですから、仕方がないことなのですが、なかなか大変なことが多いです。

“失ったものは失ったもの”

少し前にあるテレビ番組で、コロナ禍での子供たちの声を紹介していました。

その中で、一人の女子高生から、「コロナで中止になった行事や活動も、あとで振り返れば、特別な時期を過ごした良い思い出になると言って笑う大人がいるけれど、私はそういう大人を絶対に許さない。失ったものは失ったものだ」という意見が寄せられ、はっとさせられました。

突然現れた感染症に対して大人は無力で、仕方ない、我慢するしかないと言うより他に術がないのです。そこでつい失ったものを過小評価したり、安易な慰めの言葉を発したりしてしまうのですが、それは子供たちから見れば逃げであり、時には子どもたちの気持ちを無視するものであり、彼ら彼女らを傷つけてしまいます。

「失ったものは失ったもの」として、一緒にその悲しさ、悔しさ、寂しさに目を向け、受け止める努力をしなくてはいけませんね。

早くみんなが安心して学校に通える日常が戻ってくることを、願ってやみません。

(森国)