相手は自分を映す鏡?

先日、面白い話を読みました。(小話、というのでしょうか、ショートストーリーと言うのでしょうか、とにかく、短くて、オチのある種類の話です)。

あらすじとオチを言ってしまうと、こんな感じです。

『いつも自分をチラチラ見ていて、顔を赤らめたり、恥ずかしそうにしている子がいる。⇒あの子は自分に気があるに違いない。⇒その子のことをじっと観察してみる。⇒間違いない、やっぱりあの子は自分のことを好きに違いない(と確信する)』

と思っていると、友達が出てきて、『お前、その子のこと好きすぎだろ! 見過ぎるのもいい加減にしろよ! 相手の子、困ってるだろ!』とどつかれる、という…。漫才みたいな、そんなお話だったのですが…。

(相手のことを意識しすぎているのは、実はその子ではなく、本人だった、というオチですね。相手の子は、本人の視線にただ困って、顔を赤らめたり恥ずかしそうにしているだけだったみたいです…)。

意外と、こういう話って多いのかな、と思うんです。

例えば、『幽霊が恐い、恐い』と言っている人が主人公のお話があったとします。その主人公の視点で書かれている話を読み進んでみると、最後に、実はその『幽霊恐い~』と思っている人自身が幽霊だったことがわかる、とか。

ミステリーやサスペンスの主人公が実は犯人だったり、とか。

読み手や観客をビックリさせる、良い意味で『相手の期待を裏切る』という、文学や演劇の技法の1つかとも思うのですが。

ただ、『相手が自分を好きかもしれない』と思って見ていると、自分も相手のことを好きになってしまう、あるいはそんな気がしてきてしまう、というのは、よくあることのように思います。

同様に、相手を『恐い人だ』と思って避けていると、相手の人も『あの人には嫌われているのかな?』と思って、こちらを避けてくるかも知れません。あるいは、こちらのことを『いつもむっつりしている恐い人だ』と逆に勘違いされてしまうかもしれません。(こちらは、ただ単に恐くて、おっかなびっくりなだけ、だったりしますが…)。そういう態度でいると、相手にもそれが伝染してしまう、ということはあるように思います。

そして、こういうことは、思っている以上に、身近で実際に多く起こっているように感じます。

例えば、『夫が不機嫌そうで話しかけられない』と遠慮している奥さんがいたとします。ご主人は『話しかけられないから、答えない』だけだったり、ただ疲れていただけかも知れません。でも、そんな風に怯えて遠慮している奥さんを見て、ご主人の方でも、「何か疲れてるのかな、話しかけない方が良いのかな?」と思って、余計に黙ってしまうかもしれません。あるいは、「話し出すまで待っていてあげよう」と親切で思っても、奥さんの方はますます話しかけづらくなってしまう、ということがあるかもしれません。

これはご夫婦でも、職場の上司と部下でも、同僚同士でも、ママ友同士でも、先生と生徒でも、どんな関係でも起こることのように思います。

つまり、自分が『相手を恐い』とか、『遠慮したい』と思っていると、相手も同じような反応を返してきて、どんどん関係が難しくなってしまう、という悪循環です。

逆に、『思い切って話しかけてみたら、面白い反応が返ってきた』『意外と気さくな人だった』ということも、よくある話です。相手の反応がハッキリと良いものでなくても、めげずに話しかけ続けたり、こちらが気さくに振る舞っていると、相手の方も打ち解けてくる、という良い循環もしばしば起こります。

そう考えると、『相手は自分を映し出す鏡』であることも多いように思います。(もちろん、本当に恐い人もいますから、『鏡』ではないこともあるとは思いますが…)。

ただ、もし可能であれば、相手に遠慮したり、避けたりするのではなく、『自分が相手からとってもらったら嬉しい』態度で接してみてはいかがでしょうか。

上手くいけば、『自分が相手の鏡』になって、相手の方も素敵な態度で返してくれるかもしれませんよ。